2017年 04月 15日
信州ごいた大会のことと定石について |
いつもこのパターンだけど、久しぶりにブログがあったことを思い出し、最近のことをメモしておきます。
まず、定石について、色々思うところがある人もいるだろうが、あれは「負けにくいように作られた細やかなルール」だと思う。地域ルールだと思ってもらってもいい。
ただ、その『地域』というのが他でもないごいたの本場、宇出津の人々が考案したものなので、本場ルールということになる。
さっそく話がずれるけど、ゲシェンクというゲームをうちの兄(頭めちゃいい)を交えてやったとき、私はゲシェンクを何度もやったことがあって、兄は初めてなのに勝ち方をすぐに把握していた。地主か!ってくらいたくさんコインを集められて、私はボロ負けした。頭がいい人には敵わないなって思ったけど、兄は、ゲシェンクの強い戦い方(負けにくい方法)を教えてくれた。それ最初から知ってたらよかったな〜と思った。
ごいたに関しても同じだった。私が初めてごいたに触れたのは2012年、そのときはまだ大阪で竹駒を持ってるのはころさん(後の能登ごいた保存会大阪支部の支部長)だけだったかもしれないくらい、ごいたはほとんど遊ばれていなかった。知りたての頃は味方の駒もバンバン受けてたし、王で上がると点数がいいので受けに使わず取っておいて上がり損ねたりすることが多々あった。
そして翌年、本場宇出津に行って、その遊び方に打ちのめされ、ボロボロになって帰阪したのだった。
そのときに教わったのが、他でもない定石。初手は2枚持ちの駒から出す、香1枚の場合は敵の香を初手で受けない、飛角2枚出されたら王があれば必ず切る、などなど。
そのときはそんなにたくさん覚えられなかった。2枚以上持ってる駒から打ち出すことすら、初めて知った。と同時に、今までの打ち方を直すのが大変で、変な癖がついてしまったがばかりに定石を覚えるのに苦労した。
今でもごいた初めての方と打つと、いや定石ではそうでもやっぱり違うと思う、と言ってすぐに試そうとしない方がたまにいる。そのときに個人的に思うのは、ああ頭がいいんだなこの人は、ということ。私はひたすら定石を覚えることしか考えてなかったけど、なぜそうなるのか、ほんとうは違うやり方もあるのではないか、と考えるのは素晴らしいことだと思う。いずれ結論として定石にたどり着くことになるのだけど、自分なりに考えてたどり着くのとただ覚えるのとでは全然違う。
そして定石は、『覚える』よりも『体感する』ことが実際にその定石を理解する近道になるので、何度も何度もやっていくうちに、勝っていって、あー!ほんまやー!となるのである。
定石は、負けにくいようにできているのと、相方とのコミュニケーションにも欠かせない。もちろん場にいる敵方にも自分の手がある程度バレてしまうが、それでも相方に伝えることのほうが大事なのだ。
ただ、ごいたを初めて打つ人にいきなり定石の話をすると、圧が強すぎると嫌がられることがある。これは経験済みで、そのせいでごいたから遠ざかられてしまっては意味がないので反省するところでもある。
私の場合は、何のゲームに関しても戦い方を先に教わったほうがいいのでセオリーがあるなら早く知りたい派だけど、先ほどのように自分で定石を探りたい人や、そんなことはいいからとりあえず打ちたい人もいる。見極めないとごいた自体を嫌われてしまいます。
やっと本題の、今回の信州ごいた大会のこと。
名人とペアを組むことになったのは長野に向かう当日の車の中。
「かなこさん、名人と組みたいんやろ?」と支部長に言われ、この大会は負けても能登での番付に影響しないと聞き、それなら名人も組んでくれるかな…と思った。
番付を上げるために隔月で行われる宇出津の大会にわざわざ毎回出向いている名人である。私と組んで負けてしまって番付が下がっては申し訳ないので、組むなら今だ!と思い、晴れて念願の名人とのペアが発足した。
結果は全勝優勝。
簡単に勝ったみたいに書いたけど、そうではない。
6し7しとか、3香4香とか、そういう手がいいだけの勝ち方はしていない。常日頃思っている、自分のやりたいごいたが打てたと実感した結果の、優勝だった。
私は第一試合からひとりで勝手に感動していた。
試合中、名人は自分がリーチまでいったとき、私がだまだま持ちということをわかっていて、最後の2手をしと香を残して構えていたのである。それを知って、はぁぁ〜〜〜となった。すげーなこの人。恐ろしいな。と。
名人をボコボコにしたい、と思ったこともあった。いや、今も思ってる。いつも強くて敗北を知らない名人に、負けを教えて差し上げたい。
けど、そのときわかったのは、名人を倒すには、名人クラスに強い人がペアにならないと無理だということ。いろいろすごすぎて感動して泣けてきた。
それでも試合中は、今のナイスです、とか、30点で上がれば上出来です、とか言ってくれて、私の性格をわかって名人なりに会話でもフォローしてくれた。安心して打てた。ふわふわのクッションに身を包んで打っているような安心感だった。
私は、賞品がかかっていたり、なんでもいいから勝ちたい!と思っていたりすると必ず負ける。今回は長野旅行を楽しむつもりで、ごいたはそのおまけくらいの気持ちで、、と思っていたので、それも良かったのかもしれない。賞品の内容は先にツイッターにあがっていたので、旦那と「このスピーカーええやん、これ欲しいな」なんて話していたが、内心、ごいてん持ってないし逆輸入的な感じで欲しいな〜とか、茂平の包み紙ってお食事券なのかな〜このあたりもらえるといいな〜とか、その程度だった。
しかしながら、旅行のおまけの気持ちとはいえ私のせいで名人の称号に傷をつけるわけにはいかない。私なりに必死に向き合った。
いつもはいろいろ喋りながら、悪態をつきながら打つのだけど(大阪名物口悪(くちわる)ごいた)、今回は緊張もあって、騒がず、黙っていた。ふと、なんだか変な感じに耐えられなくなってくる。初めてお手合わせする人たちである。なぜこの塩尻という土地で、全然知らないところから来た人と卓を囲んでいるのだろう、、と不思議になって、ついつい「今日はどうやって来たんですか?」とか、「いつもどこで何人くらいで打ってるんですか?」とか根掘り葉掘り聞きたくなるところをグッッと我慢して、とにかく目の前の駒に集中した。名人の胸を借りつつ、とにかく定石に従って真面目に打った。試合が終わって残り時間があれば対戦相手と少しお話したりはしたけど。
そして一試合勝っても舞い上がらない。同じ大阪支部のSちゃんが、「え〜?勝ったんやろ〜?ヒューヒュー」とか言ってくるのを、渋い顔でかわした(多分かわせてない)。途中からだんだん全勝のペアが少なくなってくると、まわりが色めき立つ。そのガヤにも負けず、常に、これが大事な最初の一戦!という気持ちで挑んだ。
手がいいだけの勝ち方はしてないといったけど、唯一、第五戦目の対東京ペア戦だけ、3香で親、だまだま100点上がりというのがあった。でもその試合は、これまた唯一、敵方の6しを食らったので、自分の中でチャラということで落ち着いた。
最後の一戦は、その時点で2位のペアとの決勝戦だった。負けても30点取っていれば優勝、という一戦だった。30点は取ったのだけど、途中、70-130で負けていた。あれ?負けちゃうのかな…と、そこではじめて焦った。優勝は決まっていたとしても、ここまで来たら負けたくない!名人を負けさすわけにはいかない!というスイッチが自分の中で入ったのがわかった。名人との意思疎通がうまくいき、また名人の巧みな技も惜しげなく披露され、最後は150-130で逆転勝ちを収めた。危なかった。
今回の優勝で得たものは、名人はすごいということ。(賞品として、スピーカーいただきました!ありがとうございます!)
名人の打ち方は宇出津のやり方に忠実で、定石も本場仕込み。忘れないうちに自分の中に取り入れて、私ももっともっと強くなりたい。
まず、定石について、色々思うところがある人もいるだろうが、あれは「負けにくいように作られた細やかなルール」だと思う。地域ルールだと思ってもらってもいい。
ただ、その『地域』というのが他でもないごいたの本場、宇出津の人々が考案したものなので、本場ルールということになる。
さっそく話がずれるけど、ゲシェンクというゲームをうちの兄(頭めちゃいい)を交えてやったとき、私はゲシェンクを何度もやったことがあって、兄は初めてなのに勝ち方をすぐに把握していた。地主か!ってくらいたくさんコインを集められて、私はボロ負けした。頭がいい人には敵わないなって思ったけど、兄は、ゲシェンクの強い戦い方(負けにくい方法)を教えてくれた。それ最初から知ってたらよかったな〜と思った。
ごいたに関しても同じだった。私が初めてごいたに触れたのは2012年、そのときはまだ大阪で竹駒を持ってるのはころさん(後の能登ごいた保存会大阪支部の支部長)だけだったかもしれないくらい、ごいたはほとんど遊ばれていなかった。知りたての頃は味方の駒もバンバン受けてたし、王で上がると点数がいいので受けに使わず取っておいて上がり損ねたりすることが多々あった。
そして翌年、本場宇出津に行って、その遊び方に打ちのめされ、ボロボロになって帰阪したのだった。
そのときに教わったのが、他でもない定石。初手は2枚持ちの駒から出す、香1枚の場合は敵の香を初手で受けない、飛角2枚出されたら王があれば必ず切る、などなど。
そのときはそんなにたくさん覚えられなかった。2枚以上持ってる駒から打ち出すことすら、初めて知った。と同時に、今までの打ち方を直すのが大変で、変な癖がついてしまったがばかりに定石を覚えるのに苦労した。
今でもごいた初めての方と打つと、いや定石ではそうでもやっぱり違うと思う、と言ってすぐに試そうとしない方がたまにいる。そのときに個人的に思うのは、ああ頭がいいんだなこの人は、ということ。私はひたすら定石を覚えることしか考えてなかったけど、なぜそうなるのか、ほんとうは違うやり方もあるのではないか、と考えるのは素晴らしいことだと思う。いずれ結論として定石にたどり着くことになるのだけど、自分なりに考えてたどり着くのとただ覚えるのとでは全然違う。
そして定石は、『覚える』よりも『体感する』ことが実際にその定石を理解する近道になるので、何度も何度もやっていくうちに、勝っていって、あー!ほんまやー!となるのである。
定石は、負けにくいようにできているのと、相方とのコミュニケーションにも欠かせない。もちろん場にいる敵方にも自分の手がある程度バレてしまうが、それでも相方に伝えることのほうが大事なのだ。
ただ、ごいたを初めて打つ人にいきなり定石の話をすると、圧が強すぎると嫌がられることがある。これは経験済みで、そのせいでごいたから遠ざかられてしまっては意味がないので反省するところでもある。
私の場合は、何のゲームに関しても戦い方を先に教わったほうがいいのでセオリーがあるなら早く知りたい派だけど、先ほどのように自分で定石を探りたい人や、そんなことはいいからとりあえず打ちたい人もいる。見極めないとごいた自体を嫌われてしまいます。
やっと本題の、今回の信州ごいた大会のこと。
名人とペアを組むことになったのは長野に向かう当日の車の中。
「かなこさん、名人と組みたいんやろ?」と支部長に言われ、この大会は負けても能登での番付に影響しないと聞き、それなら名人も組んでくれるかな…と思った。
番付を上げるために隔月で行われる宇出津の大会にわざわざ毎回出向いている名人である。私と組んで負けてしまって番付が下がっては申し訳ないので、組むなら今だ!と思い、晴れて念願の名人とのペアが発足した。
結果は全勝優勝。
簡単に勝ったみたいに書いたけど、そうではない。
6し7しとか、3香4香とか、そういう手がいいだけの勝ち方はしていない。常日頃思っている、自分のやりたいごいたが打てたと実感した結果の、優勝だった。
私は第一試合からひとりで勝手に感動していた。
試合中、名人は自分がリーチまでいったとき、私がだまだま持ちということをわかっていて、最後の2手をしと香を残して構えていたのである。それを知って、はぁぁ〜〜〜となった。すげーなこの人。恐ろしいな。と。
名人をボコボコにしたい、と思ったこともあった。いや、今も思ってる。いつも強くて敗北を知らない名人に、負けを教えて差し上げたい。
けど、そのときわかったのは、名人を倒すには、名人クラスに強い人がペアにならないと無理だということ。いろいろすごすぎて感動して泣けてきた。
それでも試合中は、今のナイスです、とか、30点で上がれば上出来です、とか言ってくれて、私の性格をわかって名人なりに会話でもフォローしてくれた。安心して打てた。ふわふわのクッションに身を包んで打っているような安心感だった。
私は、賞品がかかっていたり、なんでもいいから勝ちたい!と思っていたりすると必ず負ける。今回は長野旅行を楽しむつもりで、ごいたはそのおまけくらいの気持ちで、、と思っていたので、それも良かったのかもしれない。賞品の内容は先にツイッターにあがっていたので、旦那と「このスピーカーええやん、これ欲しいな」なんて話していたが、内心、ごいてん持ってないし逆輸入的な感じで欲しいな〜とか、茂平の包み紙ってお食事券なのかな〜このあたりもらえるといいな〜とか、その程度だった。
しかしながら、旅行のおまけの気持ちとはいえ私のせいで名人の称号に傷をつけるわけにはいかない。私なりに必死に向き合った。
いつもはいろいろ喋りながら、悪態をつきながら打つのだけど(大阪名物口悪(くちわる)ごいた)、今回は緊張もあって、騒がず、黙っていた。ふと、なんだか変な感じに耐えられなくなってくる。初めてお手合わせする人たちである。なぜこの塩尻という土地で、全然知らないところから来た人と卓を囲んでいるのだろう、、と不思議になって、ついつい「今日はどうやって来たんですか?」とか、「いつもどこで何人くらいで打ってるんですか?」とか根掘り葉掘り聞きたくなるところをグッッと我慢して、とにかく目の前の駒に集中した。名人の胸を借りつつ、とにかく定石に従って真面目に打った。試合が終わって残り時間があれば対戦相手と少しお話したりはしたけど。
そして一試合勝っても舞い上がらない。同じ大阪支部のSちゃんが、「え〜?勝ったんやろ〜?ヒューヒュー」とか言ってくるのを、渋い顔でかわした(多分かわせてない)。途中からだんだん全勝のペアが少なくなってくると、まわりが色めき立つ。そのガヤにも負けず、常に、これが大事な最初の一戦!という気持ちで挑んだ。
手がいいだけの勝ち方はしてないといったけど、唯一、第五戦目の対東京ペア戦だけ、3香で親、だまだま100点上がりというのがあった。でもその試合は、これまた唯一、敵方の6しを食らったので、自分の中でチャラということで落ち着いた。
最後の一戦は、その時点で2位のペアとの決勝戦だった。負けても30点取っていれば優勝、という一戦だった。30点は取ったのだけど、途中、70-130で負けていた。あれ?負けちゃうのかな…と、そこではじめて焦った。優勝は決まっていたとしても、ここまで来たら負けたくない!名人を負けさすわけにはいかない!というスイッチが自分の中で入ったのがわかった。名人との意思疎通がうまくいき、また名人の巧みな技も惜しげなく披露され、最後は150-130で逆転勝ちを収めた。危なかった。
今回の優勝で得たものは、名人はすごいということ。(賞品として、スピーカーいただきました!ありがとうございます!)
名人の打ち方は宇出津のやり方に忠実で、定石も本場仕込み。忘れないうちに自分の中に取り入れて、私ももっともっと強くなりたい。
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by kanakkyblog
| 2017-04-15 04:22
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